OL・じん子のインタビュー
海外で働きたい! -日本語教師という道-
 (第17号'00年8月・9月)


 こんにちは! 札幌の5年目OL・じん子です。事務職正社員がどんどん減ってるこの時代、最近このままでいいのかって思っちゃうんだよね。私がほんとにやりたかった事って何だっけ?この国際化時代、日本語教師って興味あるけど実際のところどうなの?現役の日本語教師の皆さん、じん子に教えて!


<ポーランドで日本語を教える山川さんに聞きました>

山川 素子 さん(31) のプロフィール
青年海外協力隊隊員 ポーランド・グダンスク大学 日本語教師
北大卒業後、千葉そごう美術館にて学芸員として6年あまり勤務の後、IAY日本語教師養成講座へ。6ヶ月の講習の後青年海外協力隊に採用され、99年7月より現職。


1、日本語教師を目指した理由、きっかけは何ですか。会社を止めることに不安を感じませんでしたか?

 大学卒業後、民間企業の一社員として数年間(6年以上)働くうちに、どうしても充電したくなりました。その時は私の人生の中で最大級にパワー・ダウンしていて、その心境から回復をはかるには、会社を辞めることしか解決策が見つからないと判断したためです。会社を辞めるにあたっては、不安よりも心機一転リフレッシュする気持ちの方が大きかったです。
 日本語教師の養成講座に通うことにしたのは、会社を辞めてからのことです。ひさしぶりに勉強したい気持ちでした。学生時代はただ何となく勉強していただけでしたが、いざ社会に出てみると、自分のために学べることのありがたさを痛切に感じました。職場環境にあまり恵まれなかったせいもあると思うのですが、“働く”とは、自分が吸収する以上に奉仕する側面が多く、やりがいよりも消耗の代償として給与を受け取っているような気がしました。本来“学ぶ”ことは誰が強いているわけでもありません。払った努力や労力はどんな形にせよすべて自分に還元されることに気づいたとき、もう一度何かを学んでみたいと思ったのです。
 海外で勉強することも考えてみました。しかし、付け焼刃の思いつきで前々から準備していたわけでもないのでは、勉強が追いつかない上に、まず経済的に留学の費用をまかなうだけの蓄えがありません。その上学生として一からやり直すだけでは、社会人として今まで費やしてきた期間や経験を生かしきれないと思いました。もしこの時期に海外へ行くとしたら、自分が学ぶだけでなく、自分でも何かを教えられるだけの力がなければ、行く意味がないと感じたのです。仮に海外へ行く計画を本格的に考えるとしても、まずその前に教えられる力をつけたいと思いました。
 “教える”ことに着目したのはそれ以外にも理由があります。それまでの仕事の中で一番やりがいを感じたのがお客様に展覧会にまつわる絵や作家の説明をすることでした。資料をあつめて調べたことを自分なりにまとめて伝えることで、お客様の興味をより深めることができるのが何よりの魅力でした。自分が誰かの“知りたい気持ち”の役に立てるのはとても素敵なことだったです。そうした観点から、何かを教えられる知識を吸収しようと考えた上で思い当たったのが日本語教師の養成講座でした。もともと言葉に対しては関心のある方で、大学で国語国文学を専攻していたこともあり、全く初めてではない、それまでに多少関わりのある分野であったこともこの養成講座を選んだ理由の一つです。


2、日本語教師になるための勉強は、何が最も大変でしたか?

 国語学ひいては言語学という学問の分野を理解することでしょうか。教科名としては言語学概論などがなかなか難しかったです。
 これは、文系の学生にとって、今までにない思考パターンを要求される学問です。
(文系といっても、統計学や心理学を勉強している人なら話は別ですが)数学の仮定と証明といったような、非常に客観的な論理性の必要な分野なので、文学の思考法とは水と油のように全く異なり、少なくとも私のような数式に弱いタイプ」には、なかなかなじみにくい教科でした。
 私の場合、大学の卒業科目として国文学同様に国語学の単位が必修だったため、好むと好まざるとに関わらず、しっかり勉強しなければなりませんでした。非常に厳しい助教授で、文学専攻の学生にも理解度の要求が高かったため、悲痛な思いで答案用紙に向いました。その時は苦し紛れにこんな勉強、これから先一体なんの役に立つの! もう絶対に勉強しない。と考えていたのに、人生とは不思議なものです。
 学生時代にあれだけ苦労していなかったら、今回養成講座で勉強しただけでは理解し切れなかったかもしれません。2度目の学習にして、やっと何とか把握できているように思います。


3、どのような点で、IAYの日本語教師養成講座は役にたったと思いますか?

 母語として日頃から話している日本語」を教えることは、日本に生まれそだってさえいれば誰にでもできると思いがちかもしれません。しかし実際日本語を学ぶ外国の人々の素朴な疑問に答えようとしても、簡単には説明できないことがたくさんあります。自然に身につけたからこそ、その理由や仕組みがよく分からないのが母語でしょう。養成講座では、そんな日本語の新たな一面、奥深さを知ることができます。他の言語に対しても、あらたな興味が沸くかもしれません。言葉について新鮮な感覚が持てるようになったことだけでも、養成講座を受講したことに意義があったと考えています。いつか母親になって自分の子供が言葉を覚えていくときにも、きっと役に立つのではリ
 講師陣の中には、実際に日本語教師として活躍していらっしゃる方も多く、講座終了後に自分が日本語を教える機会を見つけていく上で、直接・間接的にたくさんのきっかけを与えていただけた点でも良かったです。


4、IAYを選んだ理由は何ですか?

 交通の便のよさもありますが、もともとIAYの英会話のコースに長くかよっていたことがあり、語学学校として評価していました。英会話コースでの印象から、日本語養成講座もきっと充実していると考えたのです。授業料も通信講座を含めた他の機関と比較しても決して高くなく、納得の行く値段だと思いました。


5、今、日本語教師としてどういう時に最も充実感がありますか?

 日本語の勉強が面白い!と感じてもらえることが何よりの快感です。
 学生達が覚えたての言いまわしや単語を使って、その場のやりとりの中で上手く応用してくれたときなど、とても嬉しいものです。基礎レベルの語学は学問というよりは、コミュニケーションの手段として、実際に使ってこそ価値のあるものだと思います。折角一緒に勉強したことは、できるだけ実際に使ってみてほしい。あるいは、そのうち使いたいと思ってほしい。その意味で、学ぶ側が言いたいこと、実際に口にして使ってみたくなるような題材や場面を念頭に、授業を組み立てるようこころがけています。


6、日本語教師の大変な点は何ですか?

 授業の準備です! 魅力的な授業にするために、どうしたらいいのかいつも頭を悩ませています。私はまだ経験が浅いため、ほとんど毎回はじめて教える項目でした。プリントやドリル、単語のカードを作成したり、ゲームを考えたり、ポーランド語の訳を調べたりベテランになればそれなりに蓄積したものを活用していけると思うのですが、初の取り組みとなったこの1年は、特に様々な面で一から準備が必要でした。(それでも私の場合は3代目の教師なので、前任者の方々が残して行ってくださった教材もあり、全くの新規の配属先などに比べれば、恵まれている方だと思います。) しかし、夏休みも明けての来年度からはニ循目にはいり、初めてではない項目も増えて行くので、準備の仕方も多少変わってくると思います。理想と現実はなかなか一致しないものですが、「面白くかつ内容のある授業」を目指して、これからも試行錯誤していくことでしょう。


7、現在の職についた経緯を教えて下さい

 会社を辞めて札幌に帰郷した後、97年10月から半年間、日中の養成講座に通いました。その間98年1月末に実施された平成10年度日本語教育能力検定試験を受けてみたのですが、3月中旬に結果が発表され、全くの予想外に合格することができました。実際に海外で教えることにチャレンジしよう!と思い立ったのには、この棚ぼた式の幸運に気をよくして、気持ちにはずみがついていたことが大きかったように思います。
 4月からはパート・タイムの仕事に就きつつ、北海道国際交流センターでの夜の日本語クラスのアシスタントをしながら、98年春の青年海外協力隊採用試験に応募しました。派遣先としては、当初から東欧諸国を希望しました。それまで携わってきた仕事である美術分野の知識も生かせる可能性の高い地域で活動したかったためです。98年8月下旬には、幸いにも希望に添った形での協力隊採用が決まりました。社会人として経験があったこともプラスに考慮されていたと思います。
 平成11年1次隊候補生としての訓練開始は翌99年4月だったため、10月からの約半年間はパート・タイムの仕事を減らし、日本語アシスタントの時間を昼間の集中クラスの枠にも増やしていただいたり、ポーランド語の会話教室に通ったりして、自分なりに準備を進めました。2か月あまりの訓練を無事終了し、隊員としてポーランドに派遣されたのは、ほぼ1年前の99年7月中旬です。現地での1か月あまりの語学訓練を経て、配属先での仕事が本格化したのは大学の新学期が始まった10月中旬からでした。後期は2月からで、先月には初めての学年末試験を終えて成績をつけました。これでやっと1年間の授業の流れをつかめたところです。
 現在は夏休み中旅行やポーランド語の勉強などなど来学期に向け英気を養っています。
(私と1年違いの12年1次隊員として、IAY養成講座の後輩にあたる菊地多美絵さんがもうすぐポーランドに赴任します。彼女は私立高校で教える予定ですが、任地も同じグダンスクです。今後もIAYの養成講座から私達の後任が続く可能性も大いにあり得そうです。)


8、日本語教師になる為に一番大事なこととは何ですか?

 うーん、何でしょうか、人によって考えることは様々かもしれません。
私の場合は興味のアンテナが多いこと、相手に対する敬意を忘れないことだと思っています。
 興味のアンテナが多いこと」というのは、言葉」に対する関心はもちろん、それ以外のあらゆる分野についてです。これは日本語教師が言語だけでなく、日本の文化や社会を伝えることにも一役買っていることに関係しています。日本語を勉強する学習者の動機は、国により、人によって様々です。伝統文化や武道が好きな人もいれば、マンガに夢中な学生もいます。日本の経済に関心のある場合などなど、その範囲は実に広汎です。概して、今の日本の若者が興味のないことにも、関心が高かったりします。彼らが知りたいこと全部に答えられる人はそういないでしょうし、あらゆる分野に物知りになる必要もないと思いますが、なにかにつけ知っていることがある方が、学習者とのコミュニケーションを図りやすいでしょう。彼らが良く知っているのに、日本人である私達が「全然知らない」というのも、「教師」としてはあまりに頼りないと思います。(例えば黒澤作品について、もし1本も観たことがなければ、海外での評価を今の若い世代は実感していないこと、つまりあまり観られていない事実などについて、それとも往年の秀作についてなどなど、とにかく何もコメント出来ないはずですが、ほとんどの事柄についてそういう調子では望ましくないでしょう。)少なくとも、彼らが関心のあることにその後からでも自分なりの興味を示して、説明できる事柄を増やしていける関心の幅が大切だと思います。 
 相手に対する敬意を忘れないことは、日本語に限らず、教える立場にある場合にはおしなべて有用かもしれませんが。
 大抵の教科の場合、教える側の人間は学ぶ側の学生達より多少なりとも年配で、人生経験も学生達よりは上回っていることが多いものです。(勿論、才能ある若者が年長者たちを指導するケースもあるでしょう。)しかし語学について言えば、専門分野の研究・研修に付随した日本語クラスなどを考えた場合、教師より年配の方が生徒になることも大いにあり得ます。彼らはその言語については未熟なため、(だからこそ語学クラスを受講しているのですが)充分な表現ができず、ややもすると教師側が不当に子供扱いしてしまう危険があります。語学の習熟度にかかわらず、その人それぞれの人生経験や社会的地位、ある分野の見識について、教える側がそれなりに配慮した上で、授業をすすめていく必要があるでしょう。その分、普通は先生としてしか出会えないような方に、自分が教える立場になって知り合うこともあるかもしれません。相手が年長であるかを問わず、日本語については自分が先生であっても、その他については学生の側から教えられることも多いはず。私自身は、常に一方的に教えるだけでなく、いつでも相互に吸収し合えるやわらかい心を心がけたいと考えています。


9、どういう点で日本語教師になって良かったと思いますか

 自分の国の歴史や文化について、見つめなおす機会が多くなったことです。日本人であることをアイデンティティーとして意識することで、他の国々、たとえばポーランドという国や人々についても、以前より理解しようとする気持ち、把握できる範囲が深まったように思います。日本語を知ることで、他の言語についても興味の幅が深まったことも良かったです。


10、日本語教師になってから学んだこと、自分が変わったことはありますか。
 
 特に自覚している変化はありません。どこか変わったのでしょうか?そう言えば言葉遣いについて、少しは敏感になっているかなぁ。
 養成講座時代も通じて、私自身いろいろな先生方にめぐり会う事ができました。
今、仮にも自分も教える側の立場になり、教師という仕事について、多少見方が変わってきたかもしれません。今までは「生徒」の立場から好きなことだけ言っていられたわけですが、これからはその批判を自分にも顧みる必要が出てきました。同年輩の仲間達を含め、それぞれの先生方の素敵なところを見習っているところです。


11、日本語教師を目指す方々に、職探しの心がけも含め、自分の夢を実現するためのアドバイスをお願いします。

 この仕事は日本語についての知識は勿論ですが、教師という側面からあらゆる経験を生かしうると思います。ですから、一度社会人になってから目指しても決して遅いことはなく、かえってプラスの要因に活用していけるはずです。私自身は、社会人としての経験が大いに役立っています。
 普段から視野と興味の範囲を広くもって、色んな国籍、年齢、職業の人に接するようにしておくことも役に立つでしょう。自分の国「日本」についても愛着と関心を持って、アンテナを広げておくことをおすすめします。
 実際の職については日本人には教えられない分、在日の外国人の方以外には海外でこそ需要のある仕事です。(当り前ですが。)開発途上国での教育に興味のある場合には、私のように青年海外協力隊などJICAが実施している事業への応募も有効だと思います。どんな職に就く場合でも本気の「やる気」はそこに至るまでの道を開拓していくはず。的確に情報収集しつつ、真摯にチャレンジすることでチャンスが生まれてくるのでしょう。


12、これからの夢は?

 半ば偶然に関わりはじめた職業でしたが、今では日本語教師は天職だと思っています。できれば帰国後もこの仕事をつづけて行きたいです。ただ国内外を問わず「大黒柱」として収入を確保するのは難しい仕事でもあるので、妻になり、母になりつつ続けていければ最高ですね。教師は経験が財産になる仕事だと考えているので、日本で勉強と教授経験を重ねた後、また海外で教えることにも挑戦したいと考えています。


その他の日本語教師の皆さん
実際に札幌や海外で活躍してる人って思ったよりたくさんいるのね。IAYの日本語教師養成講座を卒業した方々をご紹介します。

横川 郁子さん(34) JICA 日本語講師
北星短大卒業後、北ガスに8年勤務。退職後、日本語教師養成講座を受講し検定合格。IAY講師の後JICAへ移り、現在2年目。「必ずチャンスはあります。大変だけど本当に充実できる仕事。ずっと続けるつもりです。」

佐々木 典子さん(28) シンガポール日本文化協会日本語学院講師
北星大学英文科卒業後、仕事をしながら夜間講座を受講し検定合格。その後学校の紹介でシンガポールの日本語学院講師となり現在1年半になる。「仕事はきついけど楽しい!熱意があれば実現できます。」

柏尾 浩文さん(39) 在シンガポール日本語講師
ホテルマンとして20年近く勤務し、地下鉄の広告を見て夜間コースを受講。5月末にシンガポールの日本語学校に赴任したばかり。「こちらでは日本語ブーム。等身大の自分でいられるのがいいですね」

佐川 圭子さん(47) IAY日本語講師
高校卒業後、富士銀行に6年勤務し結婚退職。子育てをしながら日本語教師養成講座を受講し、検定合格後講師となり現在5年目。「今まで自分の生きてきた経験が全て役立つ仕事です。一生続けたい充実感があります。」

インタビューに答えて下さった皆さん、ありがとうございました。
なんだかみんな生き生きしててうらやましいぞ!


OL じん子の日本語教師への道

1.日本語教師養成講座で検定試験に向けて半年間猛勉強! 社会人向けには夜間もあるから仕事の後でも大丈夫。飲み会行ってる場合じゃないでしょ。

2.毎年1月に開催される(難しいと噂の)日本語検定試験を受験。講座を受けといてほんと良かった!

3.養成講座を終了。学校の掲示板やネットで国内、海外の職探し。最初は地域やお給料にこだわっちゃダメ!経験を積むのが最優先です。

※今回お話を聞いた方々が言っていたのが、この仕事を一生続けたいって事。あなたは今の自分の仕事をそう言えますか? 天職と言える仕事を探して、じん子も頑張ります!
※IAYの日本語教師養成講座に関するお問合せはフリーダイヤル:0120-57-47-37 まで。